ぶろぐ00041 「正しさ」 2020年2月22日

 以前にもお話ししましたが、B君は杓子定規な生活で、すべて彼の基準によるところの「正しさ」によって判断する傾向があります。そのため、彼の基準からして正しくないと思うことをしている児童に対しては、小さな事まで逐一、何度も繰り返し「違うよ。」と指摘します。相手が聞こうとしなければ聞くまで執拗に言い続けます。それが原因で、みんなから疎まれています。しかし、彼からしてみれば、相手が間違ったことをしているので注意してあげているのに、なぜ改めようとしないのかまったく理解できないようで、自分は正しいことをしているとの一点張りです。聞いてくれない彼らが悪いと思っています。確かに、彼が言っていることは正しい。しかし、相手の気持ちをまったく無視して正しさを主張することは、相手を傷つける行為になることを彼は理解できないのです。


 今日、デイサービスの先生から、「B君が、あまりにも何度も何度もA君にしつこく注意していましたが、A君はじっど我慢して聞いていました。それを見ていてA君が可哀想になって、『君がA君の立場だったどんな気持ちになるのか考えなさい。』と指導しました。」と教えられました。ホームでは私が見ているので注意しているようですが、私のいないところでは相変わらず自分を抑えられないようです。これは彼にとっては、何としても克服しなければならない弱さです。誰だって弱さの一つや二つはあります。しかし、社会で生きていく上で、B君の弱さは大きな障害になります。ですから、発達障がい児童だから仕方ないと諦めるつもりはありません。まったく克服することはできないにしても、数を減らすことはできます。それがたとえ機械的な行為であったとしても、その生き方は彼を救います。彼の今後を考えますと、人の助けを必要とする人生になることは明確ですから、少しでも愛され、可愛がられ、好かれる生き方ができなければ孤立してしまいます。それは彼にとっては不幸な人生となります。人は一人では生きていけない存在だからです。

 

 B君にとって相手を思いやって話すことがどんなに困難なことであっても、少しずつでも変えられていくことを願っています。彼にはすごく難しいことであることは百も承知ですが、私は諦めずに「思ったことをすぐに話さないで少し考えてみよう。正しいからと言って何でも話していい訳ではないことを知ろう。正しい事でも相手には優しく伝えるように心掛けよう。聞く人の気持ちになって話そう。聞く人が幸せになるような言葉を選んで話そう。」と彼に語り掛けます。ノーマライゼーション、障がいを個性として認めようとの考えがあり、その考えに私も賛同は致しますが、何でも個性だと言って開き直って諦めてはいけないと思います。障がい者であっても、自らが成長する努力を怠らず、社会にとって有益な存在になって行かなければならないと思います。それは健常者も同じことですが・・・。ですから、今日も私はB君の成長を夢見て忍耐強く指導を続けていきます。そして、5年後のぶろぐでは(それまでやっているかどうかは分かりませんが)、皆さんに成長したB君を紹介できると思います。

ぶろぐ00042 「人材」 2020年2月23日

 2019年1月、千葉県野田市で小学4年生の女の子(栗原心愛さん、当時10歳)が虐待を受けた末に死亡した事件をめぐっては、21日、父親の栗原勇一郎被告(42)の初公判が千葉地方裁判所で開かれ、今後の裁判の行方が注目されます。一方、千葉県はこうした事件を受け、児童相談所の態勢を強化するために、対応にあたる専門職の児童福祉司の採用を進めようと、応募要件の緩和や採用試験を増やすなどの対応を取っています。しかし19日開かれた県議会の代表質問で、県側は今年度24人の採用を予定していたのに対し、これまでに試験に合格した人は半数の12人にとどまっていることを明らかにしました。また、県の児童相談所で今年度、定年以外の理由で退職する人は17人と、昨年度よりも4人増えているということです。千葉県健康福祉政策課は「経験ある児童福祉司の確保は厳しい状況にある。今後も採用に力を入れる一方、職員が定着しやすい環境も作っていきたい」と話しているそうです。

 

 児童福祉をめぐる環境は一段と厳しくなってきており、被虐待児童のために骨を折ろうと思う人材がどんどん少なくなって来ていると感じます。私も28年間に亘って里親をやって来ましたが、児童福祉のために情熱を持っている若者とまったく出会えなくなってしまいました。里親として登録してくるのは年寄りばかりで、若い人はみんな自分の子どもが欲しいだけの特別養子縁組目当ての里親登録ばかりで、養子縁組が成立すると里親会を抜けていき、養育里親になろうとはいたしません。不妊治療、体外受精、代理出産等など、自分の子どもを欲しがる人はたくさんいますが、この世の中には、養育を必要としている被虐待児童は山ほどいます。彼らは、養育してくれる大人を必要しています。自分の子どもを欲しいと望む気持ちは分からないではありませんが、視野を広げて見ていただければ、育ての親を必要としているたくさんの児童がいることに気づくと思います。彼らは、あなたの愛を必要としているのです。里親登録を是非とも考えていただければと思います。

 

 また、児童福祉に関心のない若者たちには、自分の幸せのことしか考えず、日本の将来を担う子どもたちのことを省みないでいると、将来あなたたちが年寄りになった時、あなたたちを支えてくれる人が誰もいなくなることに気づいていいただきたい。児童福祉は、将来の日本を築く地道な作業です。林業のように遠い将来を見据えての投資です。日本は今までずっとそうやって、子どもが大人になって年寄りを支えて来たのです。自らの幸せしか考えない若者は、無関心にしている子どもたちから将来大きな痛手を被ることになるでしょう。子どもたちのために労しなかった老人が、大人になったかつての子どもたちから良くしてもらえるはずがありません。児童福祉に無関心な今の若者たちは、将来その子どもたちから無関心な扱いを受けることになります。児童自得ですが…。児童に仕えることは、将来の自分への投資だと考えれるならば、児童福祉は決して無関心であれる問題ではありません。児童福祉は自分のためと思える若者が増えることによって、人にやさしい社会が築かれることを心より願っています。いつもになく真面目な話となりましたが、千葉県の児童福祉司採用のニュースより感じたことを率直に記しました。

ぶろぐ00043 「致命的な欠陥」 2020年2月24日

 私には、里親として致命的な欠陥があります。それは音過敏症です。喧嘩の際の叫び声、ドタバタと階段を上がったり廊下を走ったりする足音、乱暴なドアの開閉音、片づける時の食器音、テレビの大音量、下手くそな歌やリコーダーの演奏、ゲームをしている時の興奮した奇声等など上げれば切りがありませんが、生活していく中でしばしば苦痛に感じます。特に、くつろいでいたり、不意を突かれた時の物音には心臓が止まるかと思う程驚きます。今朝も朝から思いっきり騒いで切る子どもたちに我慢ができず、つい「静かにしてくれない。」と言ってしまいました。これは、児童の養育に携わる者としては本当に致命的な欠陥です。子どもはうるさいものであり、騒がない児童などはいませんから、それを静かにしろと言う方が無理な相談です。もし、物静かな児童がいれば、それは病気か心に問題を抱えている児童ではないかと思います。ある意味で、うるさいことが子どもの健全な成長の証ともとも言えます。

 

 うるさいのが子どもの特徴ならば、音に敏感な人は子どもの養育にあたるべきではないと考えられる方もおられるかも知れません。私も、向いているか向いていないかと問われると、即座に「向いていません。」と答えられます。でも、児童福祉の働きは、向いているからとか好きだからとかでやるものではなく、必要だから求められているから行うものだと思っていますので、自分が不適格者だとは考えていません。第一、完全な人なんていうものはこの世にはいないのですから、何かしら人は弱さを抱えて生きているものだと私は思っています。もし、完全さを求められるならば、誰も福祉の仕事には従事できません。問題を自覚しながら従事しているというのが実情でしょうが、私はそれでいいと思っています。そんなことよりも大きな問題なのは、自分には向いていないということを理由にして逃げることの方だと思います。逃げてばかりいたのでは、誰も助けることはできません。自分の弱さも欠点も理解しているけど逃げないで問題に立ち向かう人だけが、本当の意味での弱者の友になれると思います。そういう人をこの世は真に求めているのではないかと思います。

 

 

 ところで、私の音過敏症の原因がどこにあるのかは分かりませんが、そんなことを詮索したところで時間の無駄ですので(精神科医やカウンセラーにとってはそこが大事だと言うのでしょうが)、どう対処するかの方が問題だと思っています。私は、子どもたちに正直に自分が音過敏症だということを話しています。父親であろうが、弱さをもっているものですし、家族にはそれを知っていてもらうことは大事だと思います。また、家族としてお互いの弱さに配慮する優しさを持って生活することは大切なことだと思います。ですから、私は自分の弱さを包み隠さず話します。「お父さんは、大きな音を聞くと辛いんだ。だから助けてくれないか。また、たまに感情的にうるさいと言うことあっても許してもらえないか。これはお父さんの弱さなんだ。理解してもらえるかな。」と話します。すると子どもたちは「分かった。」と言ってくれますが、その途端に騒ぎ始めます。それもまた子どもらしいことですが…。自分の弱さを隠さずに子どもに話し、理解と助けを求める姿勢は必要なことだと思います。自らの弱さを話してこそ、子どもたちも自分の弱さを話せるようになるものです。私はそう信じています。

ぶろぐ00044 「知らないうちに」 2020年2月25日

 昨夜からの降雪で、子どもたちの登校時間に間に合うように.、朝の7時前から除雪に追われました。ファミリーホームは、受託児童が災害時(火災や地震等の際)に安全に避難できるように広い敷地で行うことが望ましく、「恵の家」も約105坪の広さがあります。その分、除雪面積も広く、住宅玄関から道路までの歩道を確保するために朝一番で除雪作業をしなければなりません。しかも、春が近づいてきているこの時期の雪は、湿っているために重いし、雪を運ぶスノーダンプ(除雪道具)も滑らず、余計に体力を消耗します。そんな除雪作業に追われている私を尻目に、子どもたちはのん気朝ご飯を食べて、ゆっくりと登校の準備をし、テレビを観てから学校に出かけて行きます。何と恵まれていることか。

 

 彼らは、自分たちの生活が守られるためにたくさんの人々が見えないところで労苦している現実に気付かないで生活しています。そして、あたかも自分の力だけで生きているかのような勘違いをしてしまいます。そんな子は、自分が守られて生きていることに気づかないために感謝の気持ちを失ってしまい、横柄で傲慢な態度で生活するようになります。それが顕著に表れてきますと、私は我慢ができなくなってこんこんと説明します。なぜなら、その勘違いは、その子の人生を大きく誤らせてしまうと思うからです。感謝の気持ちを失った人ほどに鼻持ちならない人はいませんから、誰からも助けてもらえませんし、誰からも愛されません。そんな人生を生きて欲しくないと思いますので、分かるまで話をします。話さなくても分かると思うのは、大きな間違いです。話しても中々分からないのが子どもです。それを諦めずに忍耐強く教育するのが、大人の役目だと私は思っています。

 

 子どもは視界が狭く、物事を多面的に考えることができませんので、大人が事実を事実として伝えてあげることが必要だと思っています。恩を着せるためではなく、事実を正しくと受け止めて相応しく応える生き方をするためにです。自分を取り巻く多くの人々が、自分が気付かないところで自分のために労してくれているからこそ、今の生活が守られていることを知っていれば、誠実に応える生き方をしようとも思えるものです。大人であっても難しいことですから、子どもたちには至難の業なのかも知れませんが、もしそれができるならば彼らの生活は感謝に溢れたものになるでしょうし、周りの人々から認められ、愛され、助けられて幸いな人生を歩めるものと思います。理想論かも知れませんが、私は理想を失わないで忍耐強く彼らの養育にはあたりたいと思っています。

ぶろぐ00045 「節約」 2020年2月26日

 昨日は、Cさんが階段の照明、、A君が洗面所の照明、D君とB君が居間の照明とストーブを消し忘れ、Fさんは部屋の照明をつけたまま眠っていました。この頃、ホームのあちらこちらで誰もいないのに照明やストーブがつけっぱなしになっており、夜の反省会の際に気を付けるように注意しました。子どもたちには、日頃より節約に心掛けるように指導していますが、口うるさく注意しないでしばらく静観していますとすぐに油断してしまいます。子どもらしいと言えば子どもらしいのですが、彼らにはちゃんと節約の精神を身に着けて欲しいと願っていますので、誰もいないのに照明やストーブがついていたり、蛇口から水が滴っていたり、物を粗末に扱っていたり、安易に食料を捨てようとする等の無駄がないようにと話します。子どもにそこまで求めるのは厳しいのではないかと感じられる方もいると思いますが、私は幼い時からちゃんと考えて行動できる人間になって欲しいと願っています。ですから、自分の行動に問題意識を持つことを忘れないようであって欲しいので、あえて話をするようにしています。

 

 子どもたちに節約するように注意する際には、必ず分かるように理由を説明します。高圧的に理由もなく強制するようなことはいたしません。たとえ幼くても一個の尊重されるべき人格として、ちゃんと説明責任を果たしてから行ってくれるようにと説明いたします。私は、節約する理由を3つ話しました。

 

 @税金で生活していることです。里子たちの生活は、皆さんが収められた大切な税金によって支えられていますが、その事実をちゃんと説明いたします。税金の話は子どもたちには分かりにくいのですが、できる限り分かるように話し、自分たちの生活が多くの人々の支援で守られていることを話します。ですから、まず感謝すること、そしてそのお金を無駄使いすることなく大切に節約して使うこと、さらに立派な大人になるためにしっかり勉学に励み、今度は自分が納税者になって困っている人々を助けれるようになるように話しました。難しい話ですが、少しでも理解してくれることを願って話しました。

 

 A将来の備えのためです。発達障がい児である彼らが、将来高額所得者になることは非常に難しいと考えています。だとするならば、浪費癖がついてしまい、節約生活ができないようになってしまうと生活が破綻してしまいます。生活の中で節約できるものと言えば、衣食住と趣味や嗜好ぐらいのものですから、それを心掛けれるようになることは、将来自立した際に役立つである習慣になると思っています。生涯一緒にいて面倒を見れる訳ではない里親は、自立後の里子の生活を考えずには養育できないのです。

 

 B環境問題を考慮してです。これから長くこの世界で生きていく彼らにとって、環境問題は決して他人事ではありません。今のところ、この地球以外に人間が住める場所はないのですから、この地球を大切に守って生きなければなりません。資源の浪費を抑え、ごみを減らし、環境汚染を食い止める努力は、ひとりひとりの意識改革から始めなければならないと思います。だとすれば、我が家でもできるところから始めなければなりません。地道な行為ですが、世界に広がれば大きな成果を得ることができると考えるからです。

 

 私は、子どもであろうが障がい者であろうが、人として考えるべきことは考え、守るべきことは守り、行うべきことはどんなに小さくても行う努力を怠らないことが大切であると思います。ですから、最初から言っても分からないとか、できなとか、無駄だとか言って諦めたりはしません。それは、彼らを馬鹿にした行為だと思います。彼らも尊重されるべき立派な人間です。時間をかけてちゃんと話せば、彼らなりに理解してくれるものと思います。私は、決して彼らを馬鹿にはいたしません。

ぶろぐ00046 「休校」 2020年2月27日

 明日から新型コロナウイルスの市中感染拡大防止のために、札幌市内の小中学校は3月8日までの休校になるそうです。巷ではスポーツ競技、コンサート、様々な集会が中止され(里親会の臨時総会も延期となりました)、出社しないでテレワークへと業務移行している会社も増えていると聞いていましたが、ついに教育現場にまで及ぶとは厳しい状況です。政府による初動対応の遅れが、社会全体に影響を及ぼす形となっています。先日は、老舗旅館が経営不振のために廃業したというニュースも伝えられており、世界経済にも大きな痛手を与える状況となっています。しかし、どのような経済的な損失を被ることになったとしても、命には代えられませんので、新型コロナウイルスを封じ込めるためにはやむを得ない対応でしょう。

 

 何でもそうですが、初動対応の遅れは、後々大きな問題へとなって私たちを悩ますことになります。小さい問題のときに対応を誤れば、何倍にも何十倍にも急速に問題が成長することを許すことになり、手をこまねいているうちに対応が後手後手になってしまい、結局は解決に時間を要することになります。それは、児童問題も同じです。おかしいと思ったらすぐに対応しないでいたずらに時間を費やしていると、どんどんと問題は深刻化してしまいます。長く児童養育に携わっている者として、こちらも初動が大切だと実感しています。ですから、私は少し変だなと感じたら、すかさず子どもとの個人的な時間を持つように心がけています。その子がどんな問題を抱えているのか分かっている訳ではありませんが、子どものために費やす時間の多さが愛情の多さの表れと信じ、とにかく一緒にいようと心掛けています。一緒に過ごす時間の中で、打開策も見出されて行くのではないかと思っているからです。

 

 大切なのは、何を話すか、何をするかよりも、どれだけ個人的に時間を提供できるかだと思います。「何を話そうか、何て言おうか、何をしてあげたら良いのか」と考えあぐねているうちに問題は深刻化していきます。ですから私は、気負うことなく、まずその子と2人で何をするでもなく時間を過ごそうと努めることの方が大切だと考えています。後は成り行き任せでいいのではないかと思います。自分のために時間を使ってくれることに愛情を感じた子どもは、時間と共に心を開き、自らの抱える問題について話し始めてくれるからです。私は今までもそうやって子どもの本当の思いを知ってきました。初動の遅れは致命的な損失をもたらします。それは児童問題に関しても同様だということを、今回のことで改めて考えさせられました。

 

 

ぶろぐ00047 「事実」 2020年2月28日

 Fさんは、この頃生活態度に意欲を感じない日々を送っています。朝食の時間に遅れてきたり、呼んでもなかなか出てこなかったり、学校を休みたがったりします。日常生活にも覇気がなく、魂が抜けたようにダラダラ過ごしています。下手くそだけれども、何があっても休まなかった部活も理由をつけて休もうとしており、少し重症だと感じていました。このような状況になり始めたのは、1月中旬の実親との面談からであり、そろそろ帰宅できそうだとの期待が裏切られたことに理由があるよう思いました。ホームに来てからの1年半、彼女は実親のもとに帰れる日を待ち望んで頑張ってきたと思います。我が家での生活で、基本的な習慣を身に着け、自分のことはほとんどできるようになりました。家庭のルールもちゃんと守れるようになりましたし、門限も破らず、お手伝いもし、毎日家庭学習もし、学校も部活も休まずにいっています。ホーム的には、いつでも帰宅できる状態です。それは彼女も自覚していたことだと思います。なのに、先日の面談でも一向に帰宅できるという話になって行かないことへの諦めに似た苛立ちと、帰宅できない理由を「調整がつかないとか。準備が整っていないとか。」という曖昧な表現で伝えられたことに対するもやもやが、日常生活への意欲を失わせているのではないかと感じていました。理屈偏重時期の中学生に、曖昧な理由で説明されても納得できるはずもないと思います。幼稚園や小学校低学年じゃないんだから、もう少し納得できるような具体的な理由を提示してあげないと心が安定しませんから、その結果、生活が乱れるということにつながっていってしまうと思います。

 

 Fさんの生活支援をしている者としてこのままではまずいことになると思いましたので、児童相談所の担当ケースワーカーに連絡を取りました。彼女の現在の状況を説明し、直接担当ケースワーカーから直接、現在帰宅できないできない理由をできる範囲で具体的に話して欲しいことと、帰宅に対するある程度の目途を示してくださるようにとお願いしました。私にはFさんの家庭状況は分かりませんから、何が原因で帰宅が延ばされているのか説明できませんし、帰宅目途に関しても示してあげることはできません。それができるのは担当ケースワーカーですから、曖昧にではなく、ちゃんと事実を伝えた上で、今帰宅できない理由を話してあげなければ、彼女は今の状態に納得しないし、生活に対するモチベーションを維持することができなくなります。中学生は、曖昧な表現では誤魔化せません。ちゃんと事実を明示し、それを根拠に理由を述べるという手法を使わなければ、いつまでもそこから先に進めません。それどころか、今の生活すらままならなくなってしまいます。中学生とはそういうものです。

 

 私からの要請で、本日、担当ケースワーカーがホームを訪ねてくれて、ちゃんとFさんに事実と理由を話してくれました。ケースワーカーが帰った後、Fさんに「納得できたかい。」と尋ねると「やっと納得できました。」と答えてくれたのでほっとしました。何かもやもやしてすっきりしない彼女の顔から、ふっちれたような晴れやかな顔に変わっていたので、とりあえず大丈夫だと思いました。明日からの生活に落ち着きとやる気を取り戻してくれるものと期待しています。やはり、事実を隠しての説明には説得力はありませんし、かえって相手を悩ませることになる罪な行為だと思います。どのような事実であろうと隠さずに話し、その上で、それを受け入れて生活できるように支援するのが大人の務めだと私は考えます。大人は事実を伝えることに恐れてはいけません。事実をうやむやにした説得に納得できる子どもなどひとりもいないからです。私はそう考えて、子どもと共に事実に向き合うように努めたいと思っています。

ぶろぐ00048 「誕生日」 2020年2月29日

 今日は、A君の誕生日でした。正確な誕生日から言うと2月29日ですので、4年に一度くるうるう年にしか祝うことができませんので、他の3年間は前日の2月28日にお祝いしています。そのため、ついうっかり28日にお祝いしようとして本人に違うと指摘されました。まだ小学校低学年なのに、ちゃんと自分の誕生日を覚えているんだと感心しました。誕生日は、その子にとってこの世に生まれ出た大切な日ですから、やっぱり適当にしてはいけないなと思い、昨日と今日の連日で誕生ケーキを食べました。もうすぐ還暦を迎える私にとりましては、連日のケーキは厳しいものがありましたが、A君が大喜びでたくさん食べている姿を見てうれしく思いました。

 

 私は昔人間ですので、あまり家族から誕生をお祝いしてもらったことがありませんでした。今から半世紀も前には、誕生会を開いていたのは金持ちの家庭であり、貧乏だった私の家庭では無縁の存在でしたし、友達の誕生会に呼ばれたことも1度しかありませんでした。初めての経験でしたので、誕生プレゼントも持って行かなかったように思います。今思い出しても恥ずかしい話です。そんな育ちでしたので、あまり誕生日を祝うことを重要だとは思っていませんでした。でも、時代も変わり誕生会が普通の行事になった昨今では、心してお祝いしてあげなければならないと思っています。

 

 特に、実親の元で生活できない被虐待児童の彼らにとっては尚更大事にしなければならないと考えています。誕生会は、生まれてきたことを本人が感謝する日だし、周りの人々に存在を喜んでもらえていることを確認できる日でもあります。存在意味を問いがちな彼らには、自己肯定できる大切な機会だと思っています。ですから、誰よりも彼らこそ誕生会を盛大に祝わなければならないのです。たくさんの人々に認められ、愛され、必要とされている確認ができる誕生会は、自己肯定感を得るためにとても大切な機会であり、A君はそれを感じ取ってくれたでしょうか。生まれてきて良かったと心から思える児童であって欲しいと、私も心より願っています。

ぶろぐ00049 「面倒」 2020年3月1日

 我が家では、お風呂に最後に入った人が排水溝にたまった髪の毛を捨てることになっています。昨日最後にお風呂に入ったのはE君でしたが、髪の毛を取り忘れていました。そのため、家内が名指しを避けて「昨日、最後にお風呂に入った人、髪の毛取り忘れていますからあとで取っといてくださいね。」とアナウンスしました。すると聞いていた児童たちにに、「E君です。」と言われたのがムカついたのか、「うるせぇな。」と言ったそうです。それを聞いた私は、もしも本当ならそのままにしておいてはいけないと思い、E君の部屋に行って確認することにしました。

 

 「お風呂の排水溝の髪の毛を取り忘れたことを注された時に『うるせぇな。』と言ったそうだけど本当?」と聞くと「言いました。」と事実を認めましたので、そのことについて話をしました。「風呂を使った人が、排水溝にたまった自分の髪の毛を取るのは当たり前の話です。それが嫌なら風呂に入るなという話になります。そのことを指摘されたからと言って『うるせぇな。』と言ってはいけません。たとえ心で思ったとしても口に出してはいけません。暴言を吐いて実親さんとの生活を壊してしまった君は、尚更言葉には気を付けなければならないし、コントロールできなければなりません。それに、『うるせぇな。』という言葉を聞いて嫌な思いをしない人はいないし、小さな子どもたちはそれを安易に真似してしまいます。ですから、その言葉は発しないで飲み込むように努力してください。中学生の君には難しいことかもしれないけれど、そうあって欲しいと願っています。」というような内容の話をしました。

 

 静かに聞いていた彼は、「分かりました。」と素直に言ってくれたので話はそこで終わりましたが、自分でも難しい要求をしていると思っています。思春期の不安定な時期を迎えていますので、何事にも素直になれないのは分かります。私もそうでしたから…。でも、思春期だからと言って何でも許されていたのでは、歯止めが利かなくなってしまいます。やはり、嫌がられても悪いことは悪いと教える責任が親にはあると思います。理想は簡単に実現できるものではありませんが、理想を失ってしまった人間は向上心も成長も失ってしまうと思います。たとえ、どんなに実現困難な目標であっても、目指すものがあればこそ一歩でも近づけるのですから、理想を示してあげることは必要かと思います。あとは、忍耐強く見守り、諦めずに励まして導いていくのが親としての役割ではないかと考えています。大変ですけど…。

ぶろぐ00050 「醜い姿」 2020年3月2日

 新型コロナウイルスの影響により、巷ではでマスクだけではなく、トイレットペーパー、ティッシュ、おむつ等の紙製品も売り切れ状態となって手に入らなくなっています。新型コロナウイルスの感染拡大により、中国からの紙の輸入ができなくなって、紙製品が供給できなくなるというデマがSNSで拡散されたことが原因のようです。国もメーカーも売り切れになっている紙製品の殆どが日本で生産されている上に、在庫も潤沢なので供給不足にはならないと強調していますが、現実にはどこのお店に行っても売り切れ状態なため、人々は不安に感じてしまうのでしょう。その上、トイレットペーパーを買うために店の前で行列を作っている人の姿を連日報道されているのを見ていると落ち着かなくなる気持ちも分からなくはありません。でも、原材料も十分蓄えてあるし、在庫も潤沢だというのだから、寄ってたかって急いで買いだめする必要はないと思います。それを慌てて余分に買い占めるような行為をするから、流通が追い付かずに品切れ状態になり、それを見てまた買い急ぐという悪循環の連鎖に入っているように思います。こういう時こそ、本当に必要としている人々に優先的に紙製品が行き渡るように、あえて買い控える落ち着いた大人の対応を取りたいものだと思います。私は、こういうときだからこそ紙製品を買には行きません。それは、幼い時に経験したことが影響しているからだと思います。

 

 昔、オイルショックの時にトイレットペーパーを奪い合う大人の姿を見た私は、子供心になんて醜く、おぞましい有り様かと大人たちに幻滅したことを今でも鮮明に覚えています。その時に、「こんな大人にはなりたくない。」と心から思いました。ですから、意地でも買にはいきません。所持している紙製品がなくなれば、他のもので代用すればよいと思っています。私が子どもの時には、水洗トイレもあまり普及しておらずぼっとんトイレでした。そして、普通は茶紙を使用していましたが、なかった時には新聞紙を切ってお尻を拭きました。それでも全然問題ありませんでした。トイレットペーパーがなくなっても、流せませんが他の紙を使ってごみ袋に入れればいい話です。「何がそんなに不安なのか。何を血迷って探し回っているのか。本当に必要としている人の分を奪ってまでも欲しいのか。」 私にはさっぱり分かりません。
 子どもは、大人の言うことは聞いていませんが、何をしているかはよく観ています。トイレットペーパーに群がる大人たちの姿は子どもたちの目にはどのように見えていると思いますか。その姿は、子どもが尊敬できる、そうなりたいと思える姿ですか。私は、そんな恥ずかしい姿を子どもたちには見せたくはありません。私は奪うように手に入れたトイレットペーパーでお尻を拭くよりも、新聞紙をくしゃくしゃにして柔らかくした紙で「こんなんでもお尻拭けるんやで。」と笑いながら、子どもたちと一緒にお尻を拭きたいと思います。その姿は、きっと子どもたちのこれからの人生において記憶として残り、良い影響を与えてくれるものと思います。子どもたちには、反省会の時に、紙不足の状況を伝えて節約するように話すと共に、買占めに走るような大人には絶対になってはならないことを話しました。大変な時にこそ、困っている人を省みれる優しさを持てる人間になって欲しいと心より願っています。