ぶろぐ00001 「仮面ライダー」 2020年1月13日

 2020年1月13日、朝からウイングベイ小樽のイオンシネマで「仮面ライダー令和ザ・ファースト」という映画を男の子の里子たちと観に行きました。映画開始と共に始まる爆音に思わず耳を塞ぎました。「何でこんな音量で上映するのか。鼓膜が破れるわ。」と不満に思いながらも子供たちを置いて出て行くわけにはいかないので、我慢して観ている内に頭痛が激しくなって苦痛でした。ストーリーも複雑で何体もの仮面ライダーが登場し、しかもそれが目まぐるしく入れ替わり、仮面ライダー1号2号世代の58歳のおじさんにはさっぱり内容が分かりませんでした。私の子供時代の仮面ライダーは、ライダーキックだけでどんな敵もやっつける分かりやすい戦い方でした。黄門様の印籠のようにそれがでたら勝負ありでしたが、今どきの仮面ライダーはいろんなアイテムを駆使して戦っており、次々出てくる武器に「あれはなんなんだ」と考えている暇もなく戦いが進んでいき、次々名前のついた強力な業が繰り出され、相手が爆発するまで勝ったかどうか分からない状態でした。仮面ライダージオウ(子供たちがそう言っていたので)なんて、顔にまんま「ライダー」って書いてあって驚きした。どうやら仮面ライダーゼロワンというのが主役だったようですが、最後まで内容は掴めませんでした。分かったのはたった1つで、仮面ライダーが勝ったんだなぁということだけでした。

 これを発達障がい者である彼らが観て楽しめるのかと思いきや、映画館を出てから「なんやら仮面ライダーが出てただの。なんやら仮面ライダーはかっこよかっただの。強かっただの。面白かっただの。」と嬉しそうに話していたので、彼らなりに楽しんでいたんだと分かりました。おそらく、細かな内容は理解できてはいなかったと思いますが、「正義が勝つ」という王道を進む仮面ライダーストーリーを楽しんでいたように思えました。私たちは「正義が勝つ」という話が好きです。ストーリーの最中にどんなに困難や悩みや苦労をしても必ず「正義は勝つ」という最後になることを知っているので安心して観ていられます。水戸黄門が愛されるのもそれが理由だと言われています。代り映えのないストーリーの連続にもかかわらず、その安心感から根強いファンに支えられて何度も再放送されています。生前わたしの父も、午前、午後、夕方、夜と4回も時代劇を観た上に録画までしていました。理不尽なことがまかり通る世の中にあって、私たちにとっては「正義が勝つ」というのは憧れの理想郷なのかも知れません。子供たちのこれからの人生にもたくさんの問題や悩みや試練に直面することでしょう。わたしはクリスチャンなので「正義は勝つ」と信じていますが、この子供たちも必ず最後には「正義が勝つ」と信じて問題に立ち向かうことができるならばいいのになぁと思いながら映画を観ていました。

ぶろぐ00002 「言葉」 2020年1月14日

 FさんとB君は仲が悪い。しょっちゅう争っています。切っ掛けは、いつでもB君の配慮の掛けた言葉が原因です。B君は決して間違っていることを言っている訳ではないが、相手の気持ちを考えることが苦手で配慮に欠けた言葉になってしまします。しかもしつこい!何度も何度も言う。たとえ正しいことであっても、同じことを何度も繰り返し言われる相手は我慢の限界を迎えて爆発してしまいます。小4でアスペルガーのB君には相手の気持ちを考えることは難しく、ただただ自分は正しいことを言っているという思いが強くて押し切ろうとする弱さがあるし、中2のFさんは適当に受け流す大人の対応ができずにマジ切れしてしまうという弱さがあります。その弱さのぶつかり合いがいつも争いへと発展します。そして、飽きもせずに毎日これを繰り返しています。

 

 B君には、「正しいことだから何でも言って構わないということではないんだよ。言葉にする前に、その言葉が必要かどうか、その言葉で相手が幸せになれるかどうかを考えてから話すように努力しようよ。」と話していますがまったく心に届きません。Fさんには、「中2なんだから、小4の言葉にいちいち反応してマジ切れしないで受け流してその場を静かに立ち去りなさいな。」と進めていますが、ちっとも効果がありません。そして、今朝もバトルは繰り返され、私は「同じことを分かるまで話したるわ。」と思いつつ、二人と向き合って忍耐強く話ています。

ぶろぐ00003 「やる気」 2020年1月15日

 中学生のE君はゲームとテレビが好きだ。しかも小学生が床に入って1人でテレビを独占できる9時からの1時間が彼にとっての至福の時間です。自分の好きなゲームとテレビを気兼ねなく楽しめるからです。6人も里子がいると何のゲームをするのかどんな番組や録画を観るのかで常に争いが生じますが、それは物理的に仕方のないことです。しかし、そこは譲り合い、配慮、優しさ、我慢等を学ぶ機会ともなりますので、子供たちにとっては有益だと思っています。ただ、ほとんどの場合学ぶことなく罵り合い、自分の希望をぶつけ合い、争ってばかりいるのですが。その争いに加わりたくないE君は、小学生が寝てからの時間を満喫できるので静かに姿を消してい行きます。

 そんな彼が、学生服につける校章と名札を紛失しました。ホームでは長期の休みの度に学生服をクリーニングに出すのですが、校章と名札を外してどこに置いたか分からなくなったようです。探す努力もそこそこになくなりましたというものですから、熱心に探しなさいと勧めて2日間探させましたが見つからないと言います。仕方ないので、学校に購入の話をしたところ、担任の先生から「名札は入学式の時に2枚渡しましたから予備の1枚があるはずです。校章を販売しているお店も今日と明日は定休日なので、今日と明日探してなければ、明後日注文してください。」と言われました。そこで彼に先生からの話を伝え、「あと2日間探してごらん。それまではテレビもゲームもしないで一生懸命に探しなさいよ。それでも見つからなかったら購入するからね。」と伝えました。そこには私の目論見があり、至福の時間であるゲームとテレビの時間を人質に取られればきっと見つけるに違いないと思っていたからです。案の定、30分もしないうちに見つけてきました。そんな彼の姿に大切なものを人質に取られた時の人間の底力を見たようでした。このゲームとテレビにかける情熱をもっと他に向けられないもんかねぇと思いつつも、至福の時間を満喫している彼の姿に「まぁ、幸せならそれでいいか。」とも思いました。そして、「次もまたこの手を使ったろう。」と私は密かに企んでいます。

ぶろぐ00004 「除雪」 2020年1月16日

 札幌は、今年は例年になく雪の少ない年を迎えており、年を重ねて体力に自信のない私にとりましては憐れみの冬を迎えています。しかし、雪が降らなければ困る人々もたくさんいますので複雑な思いではあるのですが…。ところで今朝は、久しぶりに昨夜からの雪が降り積もったため、里子たちに手伝ってもらって除雪を行いました。我が家では、子供たちも家族を構成する大切な一員であると考えていますので、家のことはみんなで分担して行います。里子として我が家に来た最初の日に「我が家の家族の一員になった以上もうお客さんではないから、何でもかんでもしてもらおうとばかり思ってはいけません。自分も家族の一員として他の家族のために役立つ何かを見つけて行いなさい。」と教えます。大きい児童も小さいな児童もいますが、家族のために何もできない児童などいません。何かかにか役立てることはあるはずです。自分にできる何かを家族のために行って喜んでもらえてこそ、家族の一員としての自覚が目覚めるのであり、更に有益な家族関係を築いて行くための力となります。誰だって、役立って喜んでもらえると嬉しいものです。朝から除雪を手伝ってくれた里子たちに「本当にありがとう。助かったよ。」とお礼を言うと、彼らは満面の笑みを浮かべて「はい!」と答えてくれて私も彼らも幸せな朝を過ごせました。今日は、何とも清々しい晴れやかな気持ちで一日を始めれました。

 

 私が思いますに、このところの子供たちは親に大事にされ過ぎて何でもしてもらって当然と思っているように感じてしまいます。でもそんな生き方を肯定していたのでは、家族の一員としての自覚も育ちませんし、家族のために有益な存在になろうともしません。そんな家族は親も子供も幸せにはなれないと思います。そして結局は、親が蒔いた種を刈り取ることになるのです。人は愛されるだけでは堕落してしまいます。愛し愛される家族のもとにこそ幸せは訪れるのではないかと思うのですが、私の考えは間違っているのでしょうか。

ぶろぐ00005 「一日」 2020年1月17日

 ファミリーホームの1日について、本日を実例にしてお話ししましょう。児童養護施設のように決められた日課がある訳ではありませんで、その日の日課をおおよそ定めて行い、場合によっては臨機応変に予定を変更して生活していきます。普通の家庭と同じです。行き当たりばったり的な感じですが、良く言うと柔軟性に富んでいる生活と言えなくもありません。人生何が起こるか分かりませんし、課題の多い里子が6人もいますから、突然の変更も予め覚悟して望む方がストレスも少なく済みます。広汎性発達障害の里子たちには予定変更を受け入れることは非常に大変なことなのですが、変化も楽しめる人になることも彼らの大きな課題の一つでもありますので、ファミリーホームは理想的な家庭環境なのかも知れません。そのあたりのことは、またの機会につぶやくとして、今日の夕方(ぶろぐを書いている今)までの日課を例に1日を紹介しましょう。

 

 家内の起床は4時過ぎで里子の出かける準備や雑務(6人分の弁当がある日は3時起き)、私の起床は6時半で朝食の準備をして7時から朝食を食べさせます。7時半から食器を洗い、子供たちに拭きと片づけを頼んで昨夜熱を出したCさんの小児科と他の4人の耳鼻科の受診受付に行き、8時過ぎにホームに迎えに帰り、5人を乗せて病院に向かい、4人を家内に任せて耳鼻科に降し、私はCさんを小児科に連れて行って受診させて薬をもらい、耳鼻科を受診した4人を迎えに行き、そのまま彼らをデイサービスに送りました。風邪で休みのCさんと留守番のFさんの昼食を買って帰宅し、Cさんに薬を飲ませて寝かせ、何かあった時のために携帯を預けて家内と買い物に出かけます。私たちは仲の良い夫婦なので基本的にいつも2人で行動します。やんちゃしてスキーウェアを破ったA君とサイズが小さくなったB君のスキーウェアと手袋を買いに行ったのですが、早くもお店が春物にシフトし始めており在庫がありませんでしたので、「まだ真冬なのに在庫ないなんて早くねぇ!」とつぶやきながら手袋だけワゴンセールで何とか見つけ、スキーウェアを手に入れるために他の店を梯子してやっと探しました。来週から春休みを終えて学校が始まりますので、必要な文具をコーチャンフォーに買いに行き、12時半に遊びに出かけたいというFさんのために急いで帰宅しました。彼女を送り出し、Cさんの様子を見に行き、私たちは昼食を食べました。やっと一息ついてもゆっくり休む間もなく、今度はホームの掃除・洗濯・片付け、事務仕事が待っています。そんなこんなしているうちに夕食準備の時間になります。今日は食事作りのお手伝いをしてくださる補助者の方が休みなので、家内が4時前から準備を始めています。私は今、この「ぶろぐ」を書いています。「ぶろぐ」を書いている場合かとも思いつつ、これから何が起こるか分かりませんので、書けるうちに書いていおこうというところです。今は春休み中ですが、普段だと学校やデイサービスから電話があり、「〜君が何々しました。」とか「病気なりましたら迎えに来てください。」とか「こんな指導をしましたので帰宅してから話してもらえませんか。」等など対応しているうちに児童の帰宅時間になります。

 

 まだ1日は終わっていませんが、これからのだいたいの予定を想定して話しますと、5時過ぎに帰宅した彼らを迎え、すぐに夕食の準備を始めます。自分たちも食べる物ですし、家族ですから当然、里子たちも手伝います。食事を食べ終わるとみんなで片づけます。基本は私が洗い、当番の児童(男子グループと女子グループに分かれています。)が拭き、片付け、食卓拭き、ゴミ拾いを行います。家内は6人分の薬を準備して順に飲ませていきます。片付けが終わるとお風呂に順に入り、空いている児童は自由に過ごします。みんな入り終わりますと、おやつを食べて(ちなみに今日のおやつはチョコパイとポテチと飴の予定です。)、家内にチェックされながら歯を磨きます。その後反省会を行います。1日を振り返ってそれぞれの課題を果たせたかチェック(それぞれの児童が決めた目標5個ができたかどうか)し、できたことに〇をつけてシールを張っていきます。そのシールがたまるとご褒美になります。これに関しましてはまたの機会に詳しく話しましょう。そして反省すべきことを話し、感謝だったことと大体の明日の予定を話して感謝の祈りを捧げ、1日を終える心の準備をします。その後、小学生は8時半までゲームをしたり録画を観たりして過ごして眠ります。中学生は10時まで居間や集いの部屋で自由な時間を過ごし、10時からは自室に戻って過ごします。中学生には就寝時間を明確に定めていませんが、明日に備えて早く寝るようにとは勧めています。2時を過ぎても電気がついていると、リモコンでドアの外から電気を消します。児童には了承済みです。無理やりではありませんのでご安心ください。大概の場合、電気をつけたまま寝落ちしていますから、文句を言われたこともありません。子供たちが眠った後に、私たちは残った家事や事務作業をこなし、明日の大まかな予定を立てて眠りにつきます。大体家内は11時に私は年のせいかなかなか寝付けず2時ころになります。でもご心配なく、暇を見つけては昼寝をしていますので…。

 

 こんな感じで毎日を過ごしています。用事に追われているうちにあっという間に時間は過ぎていきます。里子たちにとっては、何の変哲もないごくありふれた日常生活ですが、家庭を失った彼らにとっては健全な成長に必要な大切な毎日だと考えて共に過ごしています。平凡な毎日こそ、彼らが求めている毎日です。用事に追われる日々ですが、私たちにとっても時間を忘れるほどの充実感のある毎日?と言えるのかも知れません。

ぶろぐ00006 「呼び名」 2020年1月18日

 私たちのホームでは、血のつながりはありませんがひとつ屋根の下で家族として生活していますので、お互いを家族として呼び合います。お父さん、お母さん、お兄ちゃん、おねえちゃん、小さい子供は下の名前で呼びます。児童養護施設では、生活支援をする大人のことをみんな「先生」と呼んでいますが、私としてはそのような呼び方には抵抗を感じます。どこかよそよそしく、冷たさを感じますし、上下関係を思わせたり、互いの間に隔たりを感じさせるからです。第一、とても恥ずかしくて先生なんて呼ばれる柄ではありません。それよりもお父さんと呼ばれる方が、児童への責任感を思い出させてくれます。確かに、血のつながりはありませんから実の親子ではありませんが、育ての親という言葉もありますから、私はお父さんと呼ばれることには抵抗はありません。2歳の時に乳児院から来た里子たちは自然とそう呼んでくれますが、中学生や高校生で来る児童は、素直に読んでくれる子もいれば、抵抗があって呼べない子もいます。決して無理に呼ぶ必要もないので、呼びたくない時には「あの〜。」とか「ちょっといいですか。」とか言ってくれれば用事があるのは分かるからそう言ってくれるようにと伝えています。ただ、「おじさん」とか「おばさん」はやめてと言っています。小さい児童が混乱しますし、外出した際に周りの人々が奇異な目で見るので君たちも気になるからと説明するとみんな理解してくれます。血のつながりはなくても、お互いに家族として生活することを決断して一緒に生活しているのですから、できる限り家族のような生活を行うことが望ましいと考えています。

 

 里子が私たちのホームに来る際には、家族の一員として迎えることを伝え、家族として生活する決断ができた場合にのみ受け入れることにしています。ファミリーホームは、どこまでも家族生活がどのようなものなのかを実戦で学ぶところです。わけあって実親と一緒に生活できなくなった彼らにとって、目指しているのは家庭の再構築です。実親のもとに帰って本来の生活を取り戻すことです。そのためには、彼らの側でも準備しなければならないことがあります。それは、子供たちも家族を構成する重要な存在であり、幸せな家庭を築くための重要な役割を担っているのだということを自覚して生活することです。それを学ぶのがファミリーホームです。確かに、家庭崩壊の最大の理由は実親であり、彼らに問題があるのは言うまでもありませんで、彼らはしっかりと親としての役割を自覚し、自己改革に励み良い親になるためのたゆまぬ努力が必要です。しかし、子供の側には何の矯正も必要ないのかということそうではありません。実親を苛立たせたり、ムカつかせたり、怒らせたりする原因を内包している児童もいます。彼らも変わらなければならない部分があります。家庭の再構築のためには、親も子供も整えられなければならない問題を抱えている場合が多いのです。実親の方は行政にお任せし、私たちは児童を引き受けています。彼らが実親から愛され、必要とされ、信頼され、頼りになる子供になっていくために、実戦形式で家族を学ぶ必要があります。一般的にいうロールプレイです。ファミリーホームで生活する中で、家族とは何か、子供の果たす役割は何なのか、どうすればより愛される生活ができるのか学び、帰宅の準備をしているのです。そのためには、彼らが生活する場所は家庭でなければなりません。父親がいて母親がいて兄弟がいる家族が必要です。だから、呼び名にもこだわっています。確かに、家族ごっごをしているだけだと言われるかもしれませんが、彼らにとっては将来につながる非常に重要な生活であることは否定できない事実です。そうやって、今までもたくさんの児童が実親さんの元に帰り、家庭を再構築したのです。

 

 また、「お父さん」と呼ばれることにより、私は父親としての自覚を再確認させられています。お父さんと呼ばれている以上、子供の最善を願う存在としてあり続けなければならないと思い出させてくれます。里子たちの問題行動に悩まされることもしばしばで、投げ出したくなるような時だってあります。でも、「お父さん」と呼ばれると「諦めてはいけない。」「投げ出してはいけない。」「父親として相応しくあろう。」と戒められます。ですから、結局のところは、私がお父さんとしての役割をを続けるために必要な呼ばれ方なのかも知れません。今日も「お父さん」と呼ばれるに相応しい生活をし、逃げずに里子たちと向き合ってかかわってこれただろうかと考えながら夜を迎えています。

ぶろぐ00007 「肩たたき券」 2020年1月19日

 A君は、オットセイのように落ち着きなく動く子で、瞬時に反応して行動してしまうADHD(注意欠損多動症)で、何度もケガや事故に遭ってきました。。転倒、やけど、物との衝突による怪我は絶えず、目を離した隙に姿をくらましてしまいます。とにかく、逃げ足が速く、家内には追い付けないほどでした。来たばっかりの時に、大雨の日に玄関ドアに施錠をかけていたのに踏み台を持ってきて鍵を開けて脱走し、雨の中で棒たちしていたこともありました。何かあってはと少なからず取り乱して探しまいましたが、見つかった時にはホッとし、そんな時だけは知恵が働くんだなぁと関心もしました。言葉の発育も遅く、気にくわないと暴力に訴えるということもしばしばで何度幼稚園や学校のお友達や親御さん頭を下げて謝ったことか。今にして思いましても、本当に手の焼ける里子でした。

 

 そんな彼も小学2年生になり、随分と落ち着き、暴力を振るうことも少なくなりました。本当に成長のスピードは微々たるもので、毎日の生活の中ではまったく実感できないことですが、2歳で乳児院から来た時から比べると本当に雲泥の差です。確かに、彼は成長しています。今でも問題は起こしてきますが、青ざめる程ではありませんし、数も減っています。毎日2人で向き合って反省する日々でしたが、A君と時間をかけて話していく中で少しずつ身に着けて来てくれたように思います。私たちは短い期間で児童の成長を計ろうとしてがっかりしてしまいますが、成長を信じて長い目で見守る姿勢を諦めずに保てば、きっと驚くほどの成長を確認できるのではないかと思います。子供の成長には時間がかかります。特に発達障がい児はもっとです。成長を信じて見守れる忍耐こそ、養育者には必要なのだと感じています。

 

 そんなA君が幼稚園の年長さんの時に、幼稚園で作らされた「肩たたき券」を父の日にプレゼントしてくれました。私は、今もそれを大事に持っています。汚い字で何と書いているのかもよく分からないような「肩たたき券」ですが、彼に「お父さんは、今でもA君がくれた肩たたき券を持っているんだよ。いつ使わせてもらおうかなぁ。」と話すと、A君はすかさず「いいなぁ。欲しいなぁ!」と言いました。相変わらずだなと思いつつも、彼らしい発言に嬉しくもあり思わず笑えました。

ぶろぐ00008 「破れたスキーウェア」 2020年1月20日

 デイサービスから帰ってきたA君は、B君からのお下がりのスキーウェアが気にくわなかったようで、膝を数か所破って帰ってきました。普通に外遊びをしていて破れるような個所ではなかったので、すぐに「ああ、わざと破ってきたな。」と思いました。それは、昨日B君のお下がりのスキーウェアを渡したときに、「これが破れたら新しいスキーウェアにするからそれまでは大切に来なさい。」と言ったので、単純に破れたら新しいスキーウェアを着れると思ったのでしょう。目的達成のためには手段を選びませんが、考えが足らないので疑われないように工夫することができず、稚拙な行為となるためにすぐにばれてしまいます。今までの里子の中にも、新しい物を買ってもらいたくて文具を乱暴に扱って壊したり、わざとどこかに忘れてきたり、使えないように細工をしたりした子もいました。しかし、自分では余程上手くできていると考えているのか、共通して「バレない。」と思っています。これで大人をだませると思うところが、「浅はかだなぁ。」と感じます。

 

 しかし、たとえどのような理由であれ、物を大切にしない行為は許されるものではありませんから、ちゃんとバレていることを説明した上で厳重に注意し、私は可能な限り修理して使わせます。もし、修理できない場合は自己負担で中古品で弁償させ、安易に新しい物を与えたりはしません。そんなことをしたら味を占めて同じことを繰り返します。何度同じ手を使ってもバレないと思ってしまうのも彼らの特徴ですから。A君にも、「バレてるよぉ。新しいの着たくてやっちったのかい。普通こんなとこ破れんからさぁ。どうなん?」(私は関西人なので冷静を装っていても興奮すると関西弁になってしまいます)と話すと「破った。」というものですから「それはあかんで。物は大切にせな。この服を作った人も譲ってくれたB君も大切に着て欲しいと思っとるんやから、着れなくなるまで大切に着てあげよう。」と話し、複数の穴を開けてきたスキーウエアに補修用パッチを施して、彼には「どんだけ破ってきても、補修用パッチを貼りまくって着てらいますよ。これ以上を破くと恥ずかしくなりますよ。」と指導しました。果たして、「明日は破らないで帰ってきてくれるかな。」と少しだけ期待しています。当然、裏切られることも覚悟していますけど。

ぶろぐ00009 「結果」 2020年1月21日

 さて、昨日の約束をA君は守ってくれたでしょうか。デイサービスから帰ってきた彼のスキーウエアを確認すると、指でこすった跡はあったものの破れてはいませんでした。破りかけたけど思いとどまったようです。よくできました。でも、その代わりにB君と激しく口論はするわ、D君の後ろから蹴った上にお腹を鉛筆で刺すわ、「ズボンを引きずって危ないから裾をまくりなさい。」と先生に何度も注意されても、「大丈夫です。」「いいんです。」と言って頑として聞かなかったそうです。なかなかの荒れ模様だったようです。その報告を聞き、イライラがそっちに出たかと思いました。何かに気を付けて行動すると他にそのしわ寄せが出て問題を起こすことを彼は繰り返しています。でもそれは、何かを頑張った証拠でもありますから、それなりに評価をしてあげないととは思うのですが、やはり悪いことは悪いこととして注意しなければなりません。

 

 彼がイライラしているのには、環境の変化も影響しているように思います。発達障がい児は環境の変化に弱く、感情のコントロールを失ってしまうことがよくあります。冬休みが終わり、月曜日から学校が再開し、環境の変化に心がついていっていないように感じます。しばらくすると落ち着いては来るのですが、今しばらくは問題が続くことを覚悟しています。願わくば、大きな問題を起こしませんように…。

 

 ところで、今回の件に関しましては、2階の部屋で反省させた後に話を聞きに行き、「スキーウエアは頑張れたようだけど、他が良くなかったね。今度は周りの兄弟たちにも優しくできるよう頑張ってみようか。」と話しました。彼は、注意されると必ずハグを求めてきます。愛されている確認作業をして叱られたことを受け止めようとしているのでしょう。ハグをすると「明日は頑張ります。」といつものセリフを言って終了です。このパターン化に疑問を感じないわけではありませんが、今のところは良しとしましょう。私としましては、ただただ明日は何事もなく帰宅して欲しいものだと願うばかりです。。

ぶろぐ00010 「トイレ」 2020年1月22日

 男子の里子たちは、いつまでたっても洋式トイレの使い方を学習してくれません。何度も「立ってしてはいけない。」と教えても立ってして周りに尿を飛ばして出てきます。さすがに私が近くにいる時には用心して座ってするのですが、いないと何でかバレないと思っているらしく平気で立ってしてきます。しかしこれがバレるんだなぁ。大人の男性でもまったくこぼさないでするのは難しいですから、痕跡を残さないように完璧にするのは至難の業です。しかも、我が家のトイレのクションフロアーは光の加減で小さなしずくの跡も残るのでバレないようにはできません。それで、男子の里子たちを集めて証拠を示すと「ホントだ!」と言うのですが、私が「誰が立ってしたんかなぁ。」と尋ねてもお互い顔を見合わせて首を傾げます。そこで「立ってした人も悪いけど、こぼれているのを知っているのに面倒がって掃除しないのも悪いよね。」と話し、伝家の宝刀を取り出しまして、「じゃぁ、これはみんなの責任だから、今日はみんなテレビとゲームはなしにしよう。」と言うと、すぐに「僕がやりました。」と簡単に白状します。「そんなにゲームしたいのか。」「損をしても意地を張ってしらばっくれる勇気はないのか。」と思いつつ、「ゲームができないくらいなら、あっさり告白して謝ってゲームしよう。」的な反応に少しムカつきますが、それでも白状しましたので許しました。繰り返し、「立ってすると尿がこぼれて床が腐るし、トイレも臭くなるし、次に使う人が不愉快な思いをするし、更には脱いだズボンに尿がついて汚れてしまう」からやめようと話します。特に、友達の家にお邪魔した時には、絶対にしてはいけないと釘を刺しますが、みんな上の空です。「大丈夫か。」と思いつつも、彼らの成長を信じる以外に道はないと諦めています。

 

 ただ、嬉しいこともあり、昨日の夕方1階の男子トイレが汚れていることを家内が発見して私に知らせてくれました。とにかく、子供たちはどうするのか様子を伺ってみようと思いしばらく放置しておきました。そして、夜の8時の反省会の時に家内に見に行ってもらいますと、床を掃除してあったとのことでした。それで、反省会の時に「誰が掃除してくれたんかなぁ。」と聞くと、しばらくの沈黙の後、中学生のE君が「汚れていたので僕がやりました。」と答えてくれました。「1ポイント!」(我が家では感動させるようなことをするとポイントがもらえ、そのポイントで買い物だできるシステムになっています。これはうれしかった。こんな小さな喜びの積み重ねが、「日々の養育の力になるんだなぁ。」と思いつつ、このぶろぐを書いています。